2012年09月10日
高野三山
昨日、山仲間15人で和歌山県高野山の奥の院を囲む高野三山に登ってきた。
高野山は、9 世紀に空海によって真言宗金剛峯寺が創建され,比叡山延暦寺と並ぶ山岳仏教の中心地として現在に至り、山内は杉木立に代表される森林と,密教文化財が多く存在し,国宝,重要文化財をはじめ,文化財多数ある、という程度のことは知っていたが、ハイキングコースがあることは知らなかった。
そこで、調べてみると「高野山町石道」http://choishimichi.com/nyoninmichi.htmlというHPに次のように紹介されていた。
「高野山の諸堂を取り囲む峰々を繋ぐと蓮の花が開いた形をしているといわれます。その中でも弘法大師廟のある奥の院を囲む摩尼山、楊柳山、転軸山は高野三山と称され、女人禁制で山内に立ち入ることのできなかった女性が辿ったこの尾根道が女人道です。開山から一千年余り、明治5年に解除されるまで(山内居住が認められるのは明治39年以降)女人禁制はつづき、御廟を拝みたいという信仰の心や、身内で出家した人をひと目見ようとの思いでこの険阻な道を辿ったのでしょう。」
要するに、ここは最近できたハイキングコースではなく、日本で最も古い由緒あるハイキングコースだった。
奥の院駐車場から樹林の道を約1時間で摩尼山1004m。
祠がある山頂は、残念ながら景観はない。

山頂など要所に立てられている案内板に従って歩いていく。

摩尼山から約40分で高野山の峰々の最高峰の楊柳山1009m。

楊柳山から約1時間で転軸山915m。

標識では女人堂の方へ行くように示されているが、何故か☓印がついている道を降りると奥の院に行けるとのことなのでそちらに進む。

10分で奥の院の裏手に降り立った。

歴史を感じる周回ルートだったが、残念ながら殆ど樹林に閉ざされていたので、何処を歩いているのかよく分からないまま終わってしまった。
奥の院の中に入ると、静寂な山の上と違って、驚くほど大勢のお参りの人で賑わっていた。

帰ってから和歌山県観光連盟が作成しているマップを見てみると、金剛峯寺や女人堂の方に続く女人道を歩くと展望があるとのことだった。
どうやら女人堂や金剛峯寺の方まで歩いてこそ高野三山歩きが完了するようだと、あとで判った。
次の機会があれば、そうしようと思う。

my homepage
高野山は、9 世紀に空海によって真言宗金剛峯寺が創建され,比叡山延暦寺と並ぶ山岳仏教の中心地として現在に至り、山内は杉木立に代表される森林と,密教文化財が多く存在し,国宝,重要文化財をはじめ,文化財多数ある、という程度のことは知っていたが、ハイキングコースがあることは知らなかった。
そこで、調べてみると「高野山町石道」http://choishimichi.com/nyoninmichi.htmlというHPに次のように紹介されていた。
「高野山の諸堂を取り囲む峰々を繋ぐと蓮の花が開いた形をしているといわれます。その中でも弘法大師廟のある奥の院を囲む摩尼山、楊柳山、転軸山は高野三山と称され、女人禁制で山内に立ち入ることのできなかった女性が辿ったこの尾根道が女人道です。開山から一千年余り、明治5年に解除されるまで(山内居住が認められるのは明治39年以降)女人禁制はつづき、御廟を拝みたいという信仰の心や、身内で出家した人をひと目見ようとの思いでこの険阻な道を辿ったのでしょう。」
要するに、ここは最近できたハイキングコースではなく、日本で最も古い由緒あるハイキングコースだった。
奥の院駐車場から樹林の道を約1時間で摩尼山1004m。
祠がある山頂は、残念ながら景観はない。
山頂など要所に立てられている案内板に従って歩いていく。
摩尼山から約40分で高野山の峰々の最高峰の楊柳山1009m。
楊柳山から約1時間で転軸山915m。
標識では女人堂の方へ行くように示されているが、何故か☓印がついている道を降りると奥の院に行けるとのことなのでそちらに進む。
10分で奥の院の裏手に降り立った。
歴史を感じる周回ルートだったが、残念ながら殆ど樹林に閉ざされていたので、何処を歩いているのかよく分からないまま終わってしまった。
奥の院の中に入ると、静寂な山の上と違って、驚くほど大勢のお参りの人で賑わっていた。
帰ってから和歌山県観光連盟が作成しているマップを見てみると、金剛峯寺や女人堂の方に続く女人道を歩くと展望があるとのことだった。
どうやら女人堂や金剛峯寺の方まで歩いてこそ高野三山歩きが完了するようだと、あとで判った。
次の機会があれば、そうしようと思う。

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