2012年09月26日
砥峰高原
鉢伏山から帰る途中に砥峰高原に立ち寄った。
鉢伏山のススキはまだ穂が出始めたところだったが、こちらのススキは午後の光に照らされて輝いていた。



2年前に来た時には、「ノルウェイの森ロケ地」の看板だけが立てられていたが、今年は「平清盛ロケ地」の看板も立てられていた。
平日なので人が少なく静かだったが、休日は賑やかなことだろうと思う。

鉢伏山のススキはまだ穂が出始めたところだったが、こちらのススキは午後の光に照らされて輝いていた。
2年前に来た時には、「ノルウェイの森ロケ地」の看板だけが立てられていたが、今年は「平清盛ロケ地」の看板も立てられていた。
平日なので人が少なく静かだったが、休日は賑やかなことだろうと思う。
2012年09月26日
鉢伏山
暑い時は近くの山に出かける気がしなかったが、秋分を過ぎてようやく秋らしくなってきたので、兵庫100山で最後に残っていた鉢伏山1221mに登ってきた。
登山口のハチ高原交流センター駐車場に着くと、風が冷たく吹いていたのでウインドブレーカーを着込んで出発。
しかし、10分も歩くと汗が吹き出し、シャツ一枚になっても草原の風が爽やか。
小代越からは気持ちのいい尾根歩きが続く。


1時間半で鉢伏山山頂に到着。

右手を見れば何時も、目の前に氷ノ山の長い尾根が広がっているのがいい。

出会った人は一人だけで、登り1時間半、下り1時間の、静かで秋風が爽やかな散策を楽しむことができた。
途中に赤いラッパ状の花がいっぱい群生していたのが印象的だった。
帰ってから調べてみるとツリフネソウという花だった。

これで、兵庫100山は踏破です。
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登山口のハチ高原交流センター駐車場に着くと、風が冷たく吹いていたのでウインドブレーカーを着込んで出発。
しかし、10分も歩くと汗が吹き出し、シャツ一枚になっても草原の風が爽やか。
小代越からは気持ちのいい尾根歩きが続く。
1時間半で鉢伏山山頂に到着。
右手を見れば何時も、目の前に氷ノ山の長い尾根が広がっているのがいい。
出会った人は一人だけで、登り1時間半、下り1時間の、静かで秋風が爽やかな散策を楽しむことができた。
途中に赤いラッパ状の花がいっぱい群生していたのが印象的だった。
帰ってから調べてみるとツリフネソウという花だった。
これで、兵庫100山は踏破です。
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2012年09月10日
高野三山
昨日、山仲間15人で和歌山県高野山の奥の院を囲む高野三山に登ってきた。
高野山は、9 世紀に空海によって真言宗金剛峯寺が創建され,比叡山延暦寺と並ぶ山岳仏教の中心地として現在に至り、山内は杉木立に代表される森林と,密教文化財が多く存在し,国宝,重要文化財をはじめ,文化財多数ある、という程度のことは知っていたが、ハイキングコースがあることは知らなかった。
そこで、調べてみると「高野山町石道」http://choishimichi.com/nyoninmichi.htmlというHPに次のように紹介されていた。
「高野山の諸堂を取り囲む峰々を繋ぐと蓮の花が開いた形をしているといわれます。その中でも弘法大師廟のある奥の院を囲む摩尼山、楊柳山、転軸山は高野三山と称され、女人禁制で山内に立ち入ることのできなかった女性が辿ったこの尾根道が女人道です。開山から一千年余り、明治5年に解除されるまで(山内居住が認められるのは明治39年以降)女人禁制はつづき、御廟を拝みたいという信仰の心や、身内で出家した人をひと目見ようとの思いでこの険阻な道を辿ったのでしょう。」
要するに、ここは最近できたハイキングコースではなく、日本で最も古い由緒あるハイキングコースだった。
奥の院駐車場から樹林の道を約1時間で摩尼山1004m。
祠がある山頂は、残念ながら景観はない。

山頂など要所に立てられている案内板に従って歩いていく。

摩尼山から約40分で高野山の峰々の最高峰の楊柳山1009m。

楊柳山から約1時間で転軸山915m。

標識では女人堂の方へ行くように示されているが、何故か☓印がついている道を降りると奥の院に行けるとのことなのでそちらに進む。

10分で奥の院の裏手に降り立った。

歴史を感じる周回ルートだったが、残念ながら殆ど樹林に閉ざされていたので、何処を歩いているのかよく分からないまま終わってしまった。
奥の院の中に入ると、静寂な山の上と違って、驚くほど大勢のお参りの人で賑わっていた。

帰ってから和歌山県観光連盟が作成しているマップを見てみると、金剛峯寺や女人堂の方に続く女人道を歩くと展望があるとのことだった。
どうやら女人堂や金剛峯寺の方まで歩いてこそ高野三山歩きが完了するようだと、あとで判った。
次の機会があれば、そうしようと思う。

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高野山は、9 世紀に空海によって真言宗金剛峯寺が創建され,比叡山延暦寺と並ぶ山岳仏教の中心地として現在に至り、山内は杉木立に代表される森林と,密教文化財が多く存在し,国宝,重要文化財をはじめ,文化財多数ある、という程度のことは知っていたが、ハイキングコースがあることは知らなかった。
そこで、調べてみると「高野山町石道」http://choishimichi.com/nyoninmichi.htmlというHPに次のように紹介されていた。
「高野山の諸堂を取り囲む峰々を繋ぐと蓮の花が開いた形をしているといわれます。その中でも弘法大師廟のある奥の院を囲む摩尼山、楊柳山、転軸山は高野三山と称され、女人禁制で山内に立ち入ることのできなかった女性が辿ったこの尾根道が女人道です。開山から一千年余り、明治5年に解除されるまで(山内居住が認められるのは明治39年以降)女人禁制はつづき、御廟を拝みたいという信仰の心や、身内で出家した人をひと目見ようとの思いでこの険阻な道を辿ったのでしょう。」
要するに、ここは最近できたハイキングコースではなく、日本で最も古い由緒あるハイキングコースだった。
奥の院駐車場から樹林の道を約1時間で摩尼山1004m。
祠がある山頂は、残念ながら景観はない。
山頂など要所に立てられている案内板に従って歩いていく。
摩尼山から約40分で高野山の峰々の最高峰の楊柳山1009m。
楊柳山から約1時間で転軸山915m。
標識では女人堂の方へ行くように示されているが、何故か☓印がついている道を降りると奥の院に行けるとのことなのでそちらに進む。
10分で奥の院の裏手に降り立った。
歴史を感じる周回ルートだったが、残念ながら殆ど樹林に閉ざされていたので、何処を歩いているのかよく分からないまま終わってしまった。
奥の院の中に入ると、静寂な山の上と違って、驚くほど大勢のお参りの人で賑わっていた。
帰ってから和歌山県観光連盟が作成しているマップを見てみると、金剛峯寺や女人堂の方に続く女人道を歩くと展望があるとのことだった。
どうやら女人堂や金剛峯寺の方まで歩いてこそ高野三山歩きが完了するようだと、あとで判った。
次の機会があれば、そうしようと思う。

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